二人旅1回目 岡山 2日目。

刀鍛冶訪問で訪れたのはコチラ


まず始めに。写真はほとんど撮っておりません。
話を聞くのに話をするのに、鍛練を見るのに夢中で必死でカメラを使う気になれませんでした。
ので、相方に写真を頂きました。(*_ _)人ゴメンナサイ


お話して下さったのは上田 祐定(うえた すけさだ)様。美術的価値だけでなく刀の刀たる所以、斬れ味も念頭に入れ砂鉄から妥協なく刀を見据える姿は研究者。

弟子の指導の他、別の場所(秘密基地)で全国から採取した砂鉄を調査し、ブレンドする割合もデータで管理し試作。斬れ味・強度・摩耗性などテストを行い割合を調整する姿は、まさに探究者。

刀を刀として扱う姿に、惚れました(〃'∇'〃)ゝエヘヘ



ほとんどの人が刀の製作で思い浮かべるのは、金槌を打ち付け火花を飛び散らせる光景だと思います。
あれは鉄に含まれるリン硫黄などの不純物を出しているのです。
砂鉄50kgから製鉄し、出来る鉄は15〜20kg。そこから鍛練し約1kgの刀に成る。

1kgの為の50kg。気が遠くなる道のり。日本美術刀剣保存協会日刀保)で購入できる玉鋼ではいくら炭火で溶かしても不純物が付着して脆くなるからと、自分で製鉄するのだと。

美術品に、ではなく刀に向かう姿勢、本当に素晴らしいと思う。



弟子の方々は鍛刀場のすぐ横のアパートで暮らしていて、修行が終わればバイトをして生計を立てているそうだ。
工業高校を卒業され直ぐに弟子入りした人、中退して弟子入りした人、社会へ出てから29歳で弟子入りした人など、様々な生い立ちだが、ただ一つ「刀を作る」という共通の意志の元、日夜刀とともに鍛えられていく。

残念なことに、上田様はもう弟子は取らないそうだ。

刀鍛冶になるために、刀匠資格を有する刀工の下で4年間の修業し、試験に合格しなければならない。

「合格して直ぐ独り立ちしても生活できない。合格してもまだまだ教えることはある。今弟子を取ったとして6年7年先、健康でいられるか分からない。もし倒れた時、その弟子を他の刀工に任せることも出来ないし、1人前にしてやれない」

最後の弟子は私よりも1つ年下らしい。「もしも私が…」なんて夢物語を思うのも失礼なんだろう。
何を言ったところで、覚悟が足りなかった、覚悟が無かったのは私で、覚悟を決めたのが彼で、彼らで。
私は人生の岐路で成功したと思っている。少なくても現時点ではそう思える程、充実しているし楽しんでいる。
中学卒業後の進路はサイコロで決め、持てる力で最善を尽くし、高校卒業後は失敗も視野に入れて、自分で道を選択した。
成功したことが失敗だった、とも思わなくはないけれど。
サイコロと、自分の意思。諦める材料としては十分だろう。


透明な壁が遠いな。見えるのに届かない。

他に砂鉄の研究をされているのは、兵庫県鴨川の中国道沿いにいらっしゃるという真鍋様がいるとか。
上田様の技術を受け継いだ弟子さんもおります。ということをいつかの誰かに記そう。


1日目の苺狩りで裏話を語ってくださったお父様こと田淵さんの話は刀鍛冶も同様でした。
刀は売れない。
・1日の炭代1万5千円、火、鉄、電気、鍛刀場などの費用や、自分で作ると仮定した技術費や修行の年月を考慮すれば高くない。けれど、思い止まる価格である。
・リピーターが付かない。刀を使用できない以上、多くの本数を購入することが無い。どうしても1振りで満足してしまう。

作刀許可を受けた刀工が刀を作らない、作れない理由の最たるものはやはりお金が絡む。

上田様は砂鉄から製鉄することで品質を上げるとともに、コストを下げているそうだ。
そして何より、刀だけでなく普段は包丁を打って生計を立てている。日本刀と同じ材料、工程で作られた包丁。
包丁は普段使用するものであり客も多い為、弟子には刀作りの前に包丁作りを教えるそうだ。

苺農家も刀鍛冶も、きっと何だってそうだろう。
夢が叶っても人生は続く。目的を達成しても次の試練。役目を果たしても惰性で続く。終わりが始まりの合図。
人生取り返しのつかないミスを犯してもゲームオーバーにはならないし、どん底でも這いつくばって生き長らえる。
続く、続く。続きが続く。いつまでもどこまでも続く。意味なく続く価値なく続く。ずるずるズルズル続く。

初心忘れるべからず、なんて誤魔化しましょう。人生は素晴らしいなぁ。


そんなこんなでの聖地、備前長船終了です。
気持ちの整理をして、是と非の覚悟を決めてまた、きっとまた訪れます。
上田様、弟子の方々、ありがとうございました。







しゃて、テンションを変えて(・。・;)「/」(・。・)」バトンタッチ!

その後姫路城のライトアップを見に行きました。

暗闇に聳え立つ城。変形とか・・・しないですよね(´ー`*)。・:*:・ポワァァン

一人旅では快晴&満月率が高い私。この夜も満月でございました。
風もなく、水面に波が立たないのでまるで鏡映し。



やはりと言うべきか、改装や修理中。
どこもそうなのかな。




似たような構図で申し訳ないです。
でもでも、まるで絶壁を見ているような、要塞を前にしているかの圧迫感と圧倒感。
こういう水面に映る風景も好きです。
手を伸ばせば触れられるのに、触れれば波を立て消えてしまう。

このくらいの距離感が、とても気持ちいいです。

橋を渡ることで区切りとします。