一人旅12回目(16県目) 宮崎 綾城1

ちょっと道に迷って見つけた

花の大時計

これだけ大きいと『時計』と認識できないから、さほど怖くない

・・・ってのはさて置き。目的は

綾城・国際クラフトの城またの名を『竜尾城』

検索でトップに出てきたサイト様はコチラ

新刀の開祖と言われる田中國廣作は、綾町古屋に生まれ、幼い頃から父旅泊の元で鍛刀に励み、天正14年(1586)に打った刀は、日州古屋住國廣作として国の重要文化財に指定されている。また、國廣は文武両道に秀で、伊東氏が没落して豊後へ落ちる際、伊東マンショ(満千代)の侍臣としての功績も残している

新刀の開祖 田中國廣

芽吹く桜に囲まれ、刀を鍛つ姿は尊敬致します。

大人350円。
この350円、刀源郷への       入口にしては安過ぎます。


近所なら月1で通ってるんじゃないでしょうか。

陶芸?か何かの体験教室もあるそうな。

専ら興味は1点集中、記憶に残っておりません。

逆光。シルエットクイズみたいな。

いざ、入城!!

    炎刀・

弓矢

甲冑

甲冑とは、弓箭、刀槍、火銃等の攻撃利器を以ってする攻撃に対して、身体を防護する為に着想する装具であって、

(胴体)に付けるものを(鎧)と云う。
(頭部)に付けるものを(兜)と云う。

鎧は武将が、騎馬上で弓を射たり、刀を切り結ぶに適した構造になっている。


手裏剣(Wiki)
裏の字にはウラとウチの両方の意味合いがあり、手裏剣の裏とは「オモテ/ウラ」のウラではなく、内裏の語に見られるような「ソト/ウチ」のウチと解するべきである。手の内に隠されたその剣は、手を離れて敵を伐つ剣、との意味から、時には手離剣とも表記された。

手裏剣には大きく分けて車剣(くるまけん)と棒手裏剣の2種類がある。車剣は十字形の鉄板に刃をつけたもの、棒手裏剣は鉄でできた小棒の片方または両方をとがらせたものである。


鎧通し(Weblio)
身幅が狭く重ねが極端に厚く、刃長は九寸五分前後という極めて頑丈な造り込みの短刀の総称。組み打ちに際して対敵する武将の鎧の間隙から刺突する用途があるところからこの呼称が遺されている。左腰に太刀或いは大小を差している場合には帯間のわずらわしさを避ける目的からも多くは右手差(めてざし)と称される拵に収められ、右腰に逆差しに佩用して瞬時の使用に利のあるよう配慮がなされていたという。

槍先

薙刀


薙刀(Wiki)
類似の武器に「長巻」があるが、長巻は長大な太刀を振るい易くするために柄をそのまま長く伸ばした”柄の長い刀”であるのに対し、薙刀は刀の柄をただ長くしただけではなく、刀身及び柄の形状共に斬撃に特化させた「長柄武器」である。

薙刀の使用が最も盛んであったのは源平時代の頃であり、その後南北朝時代に至ると「矛」から発展した長柄武器として槍が登場し、また長巻の登場によって薙刀が戦場で用いられることは少なくなっていった。応仁の乱の頃より戦闘の主流が足軽による集団戦に変わると、“振り回す”形で使う武器は密集した隊列を組んで行う戦闘において不便であり、やがて槍に取って代わられていった。その後戦国時代に鉄砲が伝来すると長柄武器そのものが衰退し、薙刀は僧侶、婦女子の用いる武具となっていく。

実戦武具としては廃れたものの、江戸時代には武家の婦女子の習う必須の武芸として稽古され、武士の家であれば嫁入りの際には薙刀を必ず持参したという。大正から戦後にかけて、主に女性のたしなむ武道となり、「なぎなた」として現代も競技が盛んである。

薙刀に「号」をつける場合は女性の名をつけるのが慣し。



薙刀(Wiki)

薙刀が戦場で用いられることが少なくなると、「薙刀直し(なぎなたなおし)」と呼ばれる、薙刀を基にして打刀に作り変えたものが多く作られた。薙刀の刀身は刃渡りが比較的短い為、茎を切り詰めて脇差や短刀に仕立てたものが多いが、大薙刀薙刀直しとする例もあり、代表的なものに九鬼嘉隆が所持していた打刀がある。

薙刀を造り直して刀としたものではなく、作刀時から薙刀直しであるかのような形状として造られた刀もあり、それらは「薙刀直し造り(なぎなたなおしつくり)」と呼ばれる。

老若男女、刀。素晴らしい時代。

書物。手裏剣や鎧通しや薙刀で満足したので、写真だけでスルー。

『刀』と対面。

日本一の刀鍛冶と言われた
田中國廣の刀

そして父 旅泊の七十二作

刀鍛冶をしていたが、後に自らの庵を寺にして入道。
旅泊和尚と称しています。

旅泊和尚の特徴として、銘が『折り返し銘』になっています。

刀匠として何を悟ったのか、非常に気になります。


『旅泊庵』として、相良大介殿の作刀日記がありました。
綾町工芸コミュニティ協議会 相良大介殿の日記はコチラ

親子の刀が、こうして並ぶ。

まずは父、旅泊和尚。






子にして祖、田中國廣