20回目(26県目) 静岡 熱海七湯巡り2



大湯


古来からの間歇泉で世界的にも有名な自噴泉でありました。
「大湯」の噴出は昼夜6回で、湯と蒸気を交互に
激しい勢いで吹き出し、地面が揺れるようであったといいます。


明治中頃から次第に減少し大正12年に止まってしまいましたが、
(大地震の際に再び噴出したこともありました)
昭和37年に人工的に噴出する間歇泉として整備、
市の文化財として保存し、現在に至っています。



たまたま見つけた

発祥シリーズ

市外通話発祥の地

温泉と風光に恵まれ、冬暖かく、
夏涼しい熱海は明治の頃、多くの政治家や政府高官が保養や会談のため
来遊したので、東京との連絡が非常に多く、そのため東京〜熱海間に
電話回線が敷かれ明治22年1月1日に開通しました。



 東京の電話交換業務が開始されたのが, それから2年後の
明治23年12月でした。それまで熱海側は内務省きゅうき館(熱海電信局)、
東京側は木挽町にあった東京電信局で 通話料のほか 呼出手数料をとって
公衆電話の取扱いを開始したものです。

これがわが国最初の市外通話です。
 きゅうき館のあったのが、この場所でしたので
わが国市外通話発祥の地を記念して「市外電話創始の地」の碑を立てました。

 このボックス公衆電話は、熱海市がこのように電話に
大変ゆかりが深いので明治100年を記念して わが国最初の
ボックス公衆電話 (明治33年東京の京橋のたもとに設置され、
            ボックスの型は六角形で白塗りでした) を
模して復元したものを、今回改装したものです。

東京で 電話交換業務が始まるより前に 東京-熱海の
市外電話ができていた とは、当時から 大物政治家や有名人が
多数熱海に来ていたことの 証明になるだろう。

人工的に噴出する間歇泉になったとはいえ、何時噴出するやら。

猫を発見し 

近付いた直後

猫の━━━━(*゚∀゚)━━━━パワー!!!!

これは是非とも撮影しなければ!
興奮気味の私を あざ笑いもせず

猫様は冷ややかに、ぬくぬくしておられました

・・・ひょっとして、その場所は温かいのだろうか

どれだけ近寄っても、撫でてみても。
全く動こうとしない 不動の山でした。

ずんぐりむっくり ふてぶてしい。

熱海七湯巡りで一番楽しかったのは、間違いなく大湯。


風呂の湯、水の湯



「風呂の湯」は、昔の坂町高砂の庭から湧き出ていました。
(今の福島屋旅館の西側)


この湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の上騰が
盛んでまんじゅうを蒸したり酒を温めたりして販売していました。


「風呂の湯」のそばから1.5メートルほど東のところに
塩分のない温泉が湧き出ていました。
淡白無味で真水を温めたようであったことから
「水の湯」と名付けられました。

明治11年、大内青巒の熱海史誌には、
「淡白無味常水をあたためるもののごとし」と記されています。


連なっていて、どっちがどっちやら。


迷っている時に見つけた番外編。
どこかの御店にあったような? 長寿の湯。


野中の湯


野中山のふもとの、このあたりを野中といいます。
この辺一帯は、泥の中に湯がブクブク噴いて、
杖で突くと湧き出したといわれています。
またこのあたりの土は丹(赤色の土)のようで、
壁を塗る材料にしました。
江戸時代まではこの「野中の湯」は湧き出るところが
浅かったので、そのため、湯をためる湯枡を
設けなかったといわれています。


清左衛門の湯



昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、
この湯壷に落ちて焼け死んだので、その名が付いたといいます。
明治までは、昼夜常に湧き出てたえることがありませんでした。
人が大きな声で呼べば大いに湧き、
小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

最後の最後がダークでした。
相変わらずの迷子っぷりに、もはや迷わず回れるなんて
   微塵も思っておりません。

それでも帰り道はしっかり覚えているので
そろそろ熱海城に帰ろうと思います。