20回目(26県目) 静岡 熱海七湯巡り1


貫一・お宮の像


明治30年より6年間「読売新聞」「新小説」に断続的に
掲載された尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)です。



この小説にちなむ「お宮の松」と、「熱海の海岸散歩する・・・」で
始まる歌謡が一体となり、爆発的に流布し、主人公「貫一・お宮」は
あたかも実在の人物のように国民の心をとらえて離さない存在となりました。

高等中学生の間貫一(はざまかんいち)が、
許婚の鴫沢宮(しぎさわみや)を資産家の
富山唯継(とみやまただつぐ)に奪われ、
高利貸しの鬼となるストーリーですが、特に熱海の海岸での
別れの場面が有名で、超人気小説となりました。


小説は尾崎紅葉の死によって未完のまま終わり、
読者の想像力をかきたて、一目でも物語の舞台を見ようと
多くの観光客が熱海を訪れました。

現在でも海岸近くの緑地帯の中に「二代目お宮の松」と
「貫一・お宮の像」が建っています。

今では海岸道路も整備されましたが、30数年前までは、
ちょうど道の真ん中にお宮の松があったので、
車はそれを避けるかのように走っていたそうです。

尾崎紅葉の友人・巌谷小波(いわやさざなみ)が思いを
寄せていた、高級料亭の女中:須磨が金持ちの男になびいたとき、
紅葉は巌谷に同情し、須磨をののしり足蹴にしたといいます。

それが有名な貫一お宮の別れのシーンの下敷きになったと言われています。

何も知らず目の当たりにした私は、

(;゚д゚) …公にしちゃまずいでしょ

なんて思った次第であります。

ちなみにこの場所、走り湯へ向かう途中。
左右どちらも勾配が急で、2択に失敗したら痛手でした。
正解は下る方 楽な方を選んだとか言わないで!

長崎県を凌ぐ 急勾配 足への負担。
観光地としては 厳し過ぎないでしょうか

観光地やクレしんで抱いた『熱海』のイメージと違い、

・排ガスの嫌な臭い
・錆びて朽ちているのに 撤去されない観光ホテル
・別段綺麗でも無い海
・情緒や趣を感じられない 急勾配
・交通の便が悪い上、あまり見どころが無さそうな町並み。

昔は観光地だったんだなぁ・・・なんて感じられました

観光に成り得ないであろう観光スポット
熱海七湯巡り

その昔、大湯をふくめて「熱海七湯」(あたみななゆ)と
呼ばれた自噴の温泉が熱海の名湯として知られ、
大正時代にはまだ残っていたそうです。


「熱海七湯」にまつわる話と歴史に触れ、
湯の街:熱海情緒を楽しんでみて下さい。



河原湯

このあたりを東浜といい、道もなく石のごろごろとした
河原で、温泉が絶えず豊富に湧き出ていて村人の入浴場でした。


湯治客は「大湯」の源泉が主に使われ、他の源泉も限られた
家のみが使用するお湯で、熱海村の農民や漁師や近
郷の人達が自由に入浴できるのはこの「河原湯」だけでした。


寛文6年(1666年)小田原城主稲葉美濃守が、村民のために
浴室を設けてその屋根を瓦葺としたため、
「瓦湯」と称したとも言われています。
この湯は神経痛やリューマチなどに効能があり塩分が多く、
人が入ると透明な湯が白く濁るほどであったといいます。


触れてみたものの、ただ冷たい水。香も無かった。

他の6つも 期待はしないけど 見て見ぬのも躊躇われ。



佐治郎の湯


佐治郎という者の邸内にあったことから
「佐治郎の湯」といわれました。

また、この源泉は明治のころは上杉助七という者の
邸内にあり、のち新かど旅館の所有になったので
「新かどの湯」ともいわれました。
この湯は火傷にも良いが眼病にも効くといわれ、
別名「目の湯」ともいいました。



小沢の湯


沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯
「平左衛門の湯」と称していました。
また、土地の人は小沢にあったので「小沢の湯」とも称しました。


「清左衛門の湯」と同様、人が大きな声で呼べば大いに湧き、
小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

また、この「小沢の湯」では温泉たまごも作ることができます。
(天候等により湯温が変化し、温泉たまごが作れない場合があります)

温泉たまごが作れるとだけあって、硫黄臭が立ち込める
温泉と呼べる温泉

この日の蒸気温度 93℃。作れるのかな

蒸気に中を覗く。たまごの腐った臭いが何とも

煮沸が必要かと思いましたが、名水百選があります。

ガスコンロは車にありますが、どこで使ってよいやら。