一人旅18回目(24県目) 長崎 島原城

青森県に行ってから丁度一ヶ月。
上に行ったから次は下

そんな気持ちで目指した、午前3時。
記事にして昨日一昨日認めた、「朝昼の運転はイライラする」

それが活動した日、寝ずの午前3時出発ともすれば、仮眠や歌で誤魔化しつつ

時間は捨て置き、20時45分

前日の夕食、朝食昼食を含めた夕食が お寿司と

広島の御隣、山口県のカキフライ

お隣だけあって、苦味の無いミルキーな牡蠣。
youmeタウンと侮るなかれ、そこらで食べるより美味しかった

その後も懲りずに運転し、人も車も少なくなってきてから真骨頂

三重県から17時間34分かかった

佐賀の吉野ケ里歴史公園からから

106km 約2時間30分。
仮眠や食事休憩を取った

20時間の末辿り着いた

長崎県 島原城

ちょっと別の敷地ですが、発祥シリーズ

日本弁論連盟発祥の地も発見した

陽が昇り始める 早朝6時40分


島原城


有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。
城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。
本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の
木橋一本で繋がれている。
橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、
しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、
縄張りの欠陥とも言える。


同じ事例に、高松城天守郭(本丸)がある。また、
天守は破風を持たない
独立式層塔型5重5階(初重の屋根を庇として4重5階とも)で
最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため
「唐造り」のようになっていた。

江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。
成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、
総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。火山灰や
溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、
関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。

島原・天草一揆って言葉しか思い出せない、島原城

思い描いている一揆と関連しているかは分かりません

朝日に彩られた

西の櫓

読んでいないですが、四朗乱物語って 天草四朗かも

見難いですが、集合写真を撮る場所


その近くにある、様々なオブジェ

梅干かめ

大層潮を吹いて塩を噴いて美味しいことでしょう


石の水道管 漏れるイメージしかわかない


キリシタン墓碑


全体図

梅苑もありましたが、立ち入っていいのか不安で撤退


色々見て入るものの、何処を見ればいいのか未だ分からないお城

雰囲気を味わえばいいと思います

鉄腕ダッシュ

鉄腕軍vs30人の島原兵士・水鉄砲合戦最終の旗

動画何処かにないかな・・・・
熱い戦いが繰り広げられた事でしょう

「嗚呼、参加したかった」

悩ましいポーズの銅像。コラに使えそう

お城の背面には、様々な銅像が集合しています

狛犬・・・にしては、腕が長すぎて奇妙。

馬に乗ったお人やら

地面に向かって指差す人。

顔が恐ろしいΣ(゜ロ゜;)

この人に指差していたら、面白い絡みが・・・・


此処はお城じゃない。面白銅像コレクションセンターだ。
島原城のイメージが完成しました

後は周囲と軽く散歩し

武家屋敷や鐘を見て終わり。

三重から長崎の島原まで、29.2km/L 880km。

この周辺の温泉も狙っていましたが、時間が合わないので次の場所へ