一人旅17回目(23県目) 青森 立佞武多の館 その2
では 立佞武多の館のつづき。
こういった人形がダイナミックに動きます。
「喧嘩ねぷた」と言われる。
喧嘩・・・ゴジラVS○○ みたいな甚大な被害が
荒々しい赤い龍の舌には、繊細な絵
最も古いねぷたの記録は、弘前のねぷた。
江戸時代には『木や竹で作った骨組みに、和紙を張り付け
その中に灯りを入れて町中を運行させる』というスタイルが
定着していたが、その元となった起源の決め手が未だ無い。
これが 最古のねぷたの記録。
現在、ねぷたの原形ではないかと考えられる3つの内1つ。
まさか昔歴史で習った、語呂が良く覚えやすい名前がこんなに出るとは。
テストにも出ていないと言うのに・・・。
あれは何だ!? 『ねぶタン!』
津軽為信の大灯籠
ねむり流し
収穫期の睡魔を追い払う「眠気払い」として日本各地に広く伝わる。
人形や灯篭を睡魔に見立てて川や海に流す。
眠い・眠たいを津軽弁で「ねんぷて(弘前方面)」、「ねぶて(青森方面)」という。
・・・でも、眠たいでしょ。
立佞武多の大まかな歴史
灯篭の大型化は江戸時代から
電線の普及により小型化へ
大正時代、余儀なく小型化。寂しがられる。
三枚の写真と七枚の図面
先人たちの誇らしげな写真と、巨大なねぷた。憧れのような感情を抱く。
文字通り手探りの復元作業
手掛かりは当時の写真と、台座の図面のみ。
苦難を乗り越え、熱い思いを託された
立佞武多『武者』完成
更に、復元しただけでは飽き足らず
400メートルの距離ながら人力で”運行”させ、多くの喝采を浴びた。
運行最終日には、古来の風習に倣って
「昇天の儀」を行い、火をかけて炎上。
上2枚が、台座のみの図面。
電線が空を覆った大正時代と変わらないか、それ以上の現代。
変わらず巨大な立佞武多が練り歩いています。
きっと私は、感動のあまり
叫ぶでしょう
走っければ、まね!!(Money)
感動台無し。
ねぷたの設計図、本物が飾られていました!
これらがなければ、今は無かった。
さてさて、逞しい背中は堪能したので
正面に回り
再び背面へ回り込む!
次は 過去造られ立佞武多の紹介です。