一人旅17回目(23県目) 青森 立佞武多の館 その1

立佞武多の館

青森県の御祭で有名な


青森ねぶた祭


起源としてよく知られていたのはのちに征夷大将軍となる
坂上田村麻呂陸奥国蝦夷征討(三十八年戦争・第3期)の
戦場において敵を油断させておびき寄せるために
大燈籠・笛・太鼓ではやし立てたことを由来とするもの。



このほかにも八切止夫が「ねぶた」という言葉の語源から推察した説、
東北にいた阿弖流為という王が、朝廷に謁見後、斬首、さらし首に
されたが東北に残っていた妻子や残党は大きな穴を掘らされて
生きながら埋められ惨殺されたとされている。
その生き埋めの上に土をかけ、その土を素直に降伏し奴隷となった
者らに踏みつけさせた。
これが今の東北三大奇祭のねぶた(根蓋)の起こりであるとされている。
つまり「根」(死)の国へ追いやるための土かぶせの「蓋」。



また、「飢饉や疫病の蔓延で大量に餓死し、病死した者を十分な
弔いもせずにまとめて土葬した暗い時代があった。
そんな被葬者たちの怨念の復活を恐れた人々は、根の国に蓋をする
鎮魂の儀式として、 「ラッセー」(「来世(らいせ)」)と唱えて
いるもので、野辺の送りを原形として自然発生した村祭りであろう。」
とする言説もあるが、確証はない。

確証がなかったり、学術的意義を認められていなかったり。

由来や起源はさておき、御主人に教えて頂いた重要なこと。

『ねぶた ねぷた たちねぷた 多々あるが

ぶ  たちねぷた

全く異なるものです』

それはまた 後に書きたいと思います。覚えていれば。

たちねたの館 いざ入館!


(; ̄□ ̄)デケェッッ!!!


写真じゃ大きさが伝わりませんが、高さ22m

7階建てビル に匹敵する高さで、重さ16t。

色鮮やかな発光を、まさしく見上げる。首が痛くなる。

これを引いて練り歩く・・・壮大なお祭り。

その奥にいる 2体目。

確かこれが今年造られた たちねぷた
1年に1体造られ、翌年も登場。
翌々年 最後の登場を果たし、解体されるとのこと。

『がんばろう 東北』
   刻まれています

そして3体目。
この たちねぷた が3年目で、もうじき見られなくなります。

他2体と比べると

圧迫感が凄い

『おらだじの佞武多』

これは・・・どういったシーンなのでしょうか。

下から見上げるだけでなく、立佞武多の館では4Fから
螺旋階段を降りながら 立佞武多の歴史を学べます。

エレベータを使って順路の始まりへ。22mと並べるくらいの高さ。
きっとお祭りに参加している時には見られない高さではないかと。

下から眺めるより 上から見下ろす方が 高さが分かりやすい。

骨組みに和紙でしょうか。 後に説明ry

見上げるだけでは分からなかったけれど

鬼を屈服させている様子。

こちらも発見

龍と・・・お爺様?

『この橋が開きます』

此処が開く模様

継目発見

立佞武多が出陣します


・・・ここは記念館であり、保管庫でもあるようです

これを世に放つと言うのか…!

アニメっぽい熱い台詞

日本の祭典を代表する「青森ねた」「弘前た」をはじめ、

青森県地方では数十にも及ぶねぶた・ねぷたが存在し、
秋田県や石川県、富山県の一部にも似たお祭りがある。

初耳。そして多い。

私は青森県民が総出で行っていると思っていました。せいぜい4〜5くらいかと。

形式・様式が違えど、「ねぶた・ねぷた」の名を冠してこんなにあるとは。

御見それいりました。


弘前ねぷた


青森県弘前市で開催される弘前四大まつりのひとつである夏祭り。

大勢の市民が「ヤーヤドー」の掛け声とともに、武者絵が描かれた
山車を引いて市内を練り歩く。
ねぷた(扇型)と組ねぷた(人形型)をあわせると約80台となり、
現在は県内最多のねぷたが運行される。

1980年(昭和55年)には国の重要無形民俗文化財に指定された。


高さ6〜8メートルの扇ねぷた(扇型)が特徴で、
「動」の青森ねぶたとは好対照の厳粛な趣がある。

二度来られるか・・・と思い、いっぱい写真を撮りました。
しばらく続こうかと思います。