一人旅13回目(18県目) 愛媛 今治城 鉄御門

こうして天守閣を満喫し、御金櫓・武具櫓も見ました。

どちらも撮影不可&刀はありませんでした。

御金櫓は絵画。
武具櫓は期待していたのですが、刀も槍も無く。
漆器や陶磁器、甲冑くらいでした。

最後に訪れた鉄御門は撮影可能でした。

檜の香りが素晴らしい、綺麗な建物でした。


鉄御門
鉄御門の再建は、平成15年「今治築城・開町400年祭」の記念事業の
一環として計画されました。

三の丸の大手筋にあたるこの郭(くるわ)は、
総鉄張りの鉄板張りの鉄御門を始め武具櫓・東多聞櫓・西多聞櫓の
7連の櫓で形成されていましたが、明治4年に焼失し、
翌年には本丸・二の丸の建築群と鉄御門桝形正面石垣も撤去されています。





鉄御門
本計画は鉄御門・東多聞櫓・西多聞櫓及び東西控塀の一連の建造物を
市民の寄付金により復元する事業です(武具櫓は昭和55年再建)。
上屋建物については、江戸時代末期の慶応3年、半井梧庵撮影の写真と
芳野家文書を復元の基礎資料とし、史跡今治城跡整備検討委員会の
指導のもとに設計されました。

発掘調査については、事業開始にあたり平成16年2月から
史跡整備の基本である試掘調査を行い、
平成17年10月から工事に伴う事業調査を開始し
旧櫓台の根石や下部築石、門礎石(石灰岩の大石)が
地中より検出されました。






鉄御門
石垣修復には、重さ16t、表面積8.9㎡の勘兵衛石を
桝形正面中央に据え、出土大築石(表面積2.5〜5㎡)は
出土位置に配する等、遺構築石を全て再使用、不足築石のみ
地元大島産の野石(花崗岩)で補充しています。

修復石垣の面積は、314.9㎡、復元後表面積は計337.1㎡に及んでいます。
高虎時代の桝形地盤面は海抜5.8mと思われますが、
現地盤よりかなり低く、復元は困難であるため、
後世の久松期(海抜6.5m〜6.8m)程度としています。
これに伴い門前の石段・雨落ち等は同時期の形態を復元しています。






鉄御門
建築物は、鉄御門・東多聞櫓・西多聞櫓は
岐阜県茨城県産欅材、背面冠木のみ岩手県産松丸太材を、

東多聞櫓は久万産地の檜材、小屋組は久万産の杉材と
島根県産・鳥取県産の松丸太を使っています。

鉄御門を初めとする7連棟の延床面積は769.2㎡となっています。

(現地案内板より)



市民の寄付金により復元

見学後、鉄御門の係りの人に聞いたのが、寄付金の価格。

・・・・忘れてしまいましたが。

「もう一周すると、檜以外の香りがしますね!」

「えぇ、きっと

お金の臭いも感じられますよ」

気さくに、感情のこもった案内をしてくれる
素敵な方でした。

・・・建築も疎いので、何も言えませんが

こんな部屋に住みたいですね。

6畳一間くらいで、何も無くて。
檜の香りだけがする部屋。

刀剣弓槍が一切ない部屋か、囲まれた部屋か。
どちらが精神的に楽でしょうか。

こういった建物は、木々をはめ込む形ですね。
釘やら無粋な物は使っておりません。







    石落

死角に入った敵兵を攻撃するためのもの

石だけじゃなく、鉄砲を打ちかけたりしたとか


細部まで再現されているそうな


愛媛県、一発目で大当たりでした。

大分満足しちゃっていますが、

お腹が不満を唱えているので。

これにて、今治城を去ることに。

素晴らしい時間をありがとうございました。

・・・槍や弓が欲しくなってきました。