一人旅12回目(16県目) 宮崎 鵜戸神宮

山桜が満開でした。桜前線は下からでしたっけ。
日中暖かい。

堀切峠

本当に ヤシの木みたい。

砂浜なのか、岩なのか。
先程の『鬼の洗濯板』みたい。

海を横目に、のんびり走行。

道の駅「フェニックス」

名前に釣られて寄ってみた。特に目ぼしいものは・・・。

車1台がやっとの細い道を上下左右。到着しました。

耐湿、耐風、耐久力に強く、船材、建築材として広く使われている杉。

その飫肥(おひすぎ)を使ったベンチ。

出店が並んでいました。

後ろに見える岩が『神犬石』

ゴジラ岩を思い出しました。


やって参りました鵜戸神宮



ご由緒

山幸彦(彦火火出見尊)が、兄(海幸彦)の釣り針を探しに海宮(龍宮)に赴かれ、海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを結ばれた。
山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命
天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られた。
霊窟に急いで産殿を造られていたが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに
御子(御祭神)はご誕生になった。
故に、御名を「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と申し上げる。

海に面した神宮。落差が激しい。

『おちち岩』・・・そんな目で見ないで下さい。

洞窟に造った未完成の産屋で出産の際、父君が覗いてしまったことにより
母君は故郷の海へ帰らなねばならず、その際お生まれになったご祭神への
愛情と健やかな成長を願い、ご自分の両乳房を洞窟にくっつけていかれたといわれています。

現在も絶えず石清水がしたたり落ちる神秘の岩

気持ちのいい道

右側には海

左側には岩・・・ですが、一部入れそうな隙間を発見

こういう場所、入りたくなりますが、浅そうなので入らず。

『神橋(玉橋・霊橋・鵜戸の反橋)』

かつては、橋の手前から履物を脱ぎ、素足で御参りをしておりました。
今はその習慣は無くなりましたが、その心は生きています。
お参りの方々は御神慮にかない、心は清く正しく明き人として祝福され、
御加護を受けられると言われています。

一層盛り上がった橋の先には

爽快な光景(゚д゚)


ご鎮座

当神宮は「鵜戸さん」と愛称され、国定公園日南海岸の風光明媚な所、日南市鵜戸の日向灘に面した、自然の神秘な洞窟の中に、朱塗りの色あざやかにご鎮座されている。
 この洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地で、およそ1千平方メートル(約三百坪)ほどの広さがある。
 強烈な太陽のもと、おりなす奇岩怪礁、紺碧の海、波状岩に砕ける白波と、自然の景勝につつまれたロードパーク日南海岸の中心地に当神宮はお鎮りになっている。

岩に抉る、波飛沫



運玉の由来

奇岩連なる中、一際目を引く岩は亀石です。
古くから参詣者は亀石の枡形穴に向かってお金を投げ入れる風習がありました。
ところが昭和27年頃、落ちたお金を求め崖を降り磯に出る子がいて問題になりました。
賽銭に代わるものをと、鵜戸小鵜戸神宮ともに試行錯誤した結果、
昭和29年に粘土を丸め運の文字を押し、素焼きにした「運玉」が誕生しました。
以来、地元の子供達が作り続ける運玉は亀石に投げられ、願いと夢と喜び楽しみを与えています。

落ちたお金を求め
崖を降り磯に出る子がいて問題

( ̄△ ̄;)・・・・

こちらが運玉の象徴でしょうか。

男女で投げる手が違いますのでご注意を。

場所は上の写真の通り、結構遠いので難しいです。

周囲の岩は、毎度のことながら奇形

今も尚、浸食は続いています。

この高さの岩、どうやって削るんだろう。

自然は驚異です。

下から見上げた写真。

さて、本殿を周ってみます。

うさぎ。細部を撮っていませんでした。

こうしてみると 洞窟の中! ですね。

お乳岩がどこなのか、
さっぱり分かりません

産湯の跡

何も残って無いです。

おちちアメ

お乳水

おっぱいがいっぱい

きっと、今なら口にしても許される!

そんな馬鹿のこと考えていたら、飴を買い忘れてしまいましたとさ。

愚考しつつ、階段を上り。

改めて、写真を撮りまして。

脅威を眺め、鵜戸神宮を去りました。

帰り道、疲れで
幻覚が見えたのかと疑った

   モアイ像

Why?


モアイ像を見たら疲れが
〜〜〜〜〜〜〜(;_ _)O パタ...

時刻はもう黄昏時。
でも、もう一か所、どうしても…!!