一人旅18回目(24県目) 長崎 長崎くんち祭り その2

人が多い事には慣れました


神輿に

おじ様方

子供や親子の列があり


馬が闊歩する

「お祭り」らしいお祭りです。長崎くんち


いい加減、神輿から離れ観光。
路地裏へ侵入すると

長崎カステラの本家?元祖? 有名な

福砂屋

右から読むカステーラ

如何にも老舗!って雰囲気が素晴らしい
ここで購入しようと思っていましたが、大行列の為断念

これぞ長崎という町並み。ハイカラな建物がいっぱいです


名も無い坂でも、結構急です。
ここの御年寄は大層元気なのでしょう。

勿論、しっかり迷い込んでいます。
徒歩で目指す場所がいくつかありますが、適当に歩いていれば当たるだろうと。


荒ぶる巨木

内側から開け閉め出来ない 狐窓

現代じゃ考えられない設計。人目もですが、虫が嫌。

階段を上った分を差し引いても、左側の広場に見える 通常の道路。
坂だけでこんな高さまで来てしまう長崎。


坂+階段で絶景に誘い込まれます。
高い所に来れば、目的地が見えると思ったのに。


唐人屋敷と呼ばれるこの一帯

江戸時代の鎖国政策により長崎に設置された中国人住居地区。
政府の規制によって成立した唐人屋敷も一種の中華街といえる。


1635年、江戸幕府は中国商船の入港を長崎一港に制限する措置を取るが、
キリスト教徒ではない中国人は長崎市内に雑居することを許されていた。
しかし、密貿易が増加したため、長崎奉行所では中国人の居住地区も
制限することになり、1688年長崎郊外にある十善寺郷に幕府が所有する
御薬園の土地で唐人屋敷の建設に着手し、翌年完成した。


広さは約9,400坪に及び、2,000人程度の収容能力をもつ。
現在の長崎市館内町の地である。周囲は塀と堀で囲まれ、大門の脇には
番所が設けられ、出入りを監視した。


ただ出島のオランダ人が厳重に監視されたのに比べ、
中国人は比較的自由に出入りが許された。

再度ここに戻って来ますが、それは最後の最後の話。
ここを見て、左回りした あの頃の私に言いたい。

直ぐ右手に、オランダ坂がある

何故教えて下さらなかったのですか、猫さん。
寝ていたのなら、仕方がありません。