一人旅15回目(21県目) 佐賀 与賀神社

陽が昇る頃に着いた 2つめ

こういう石場 近所の城跡にあったな なんて振り返った

與賀神社(与賀神社)

この鳥居は重要文化財

年代:1603年建立 国重要文化財

四百年余前に藩祖鍋島直茂公夫妻による建立で、
石橋ともに国重要文化財です。

朝鮮出兵後、直茂公の無事の帰還を祝い寄進されたもので、
桃山時代の地方的特色のある優れものです。

三の鳥居は石造明神鳥居で、その形式、殊に笠木鼻の形に
特有の様式が認められ、「肥前鳥居」の初期のものとして有名です。
柱に慶長八年( 1603 年)の銘があります。

この石橋も重要文化財

年代:1608年建立 国重要文化財

四百年余前に藩祖鍋島直茂公夫妻による建立で、
鳥居ともに国重要文化財です。

朝鮮出兵後、直茂公の無事の帰還を祝い寄進されたもので、
桃山時代の地方的特色のある優れものです。

石橋は石造反橋で橋脚6基18本、擬宝珠(10個)高蘭付で、
擬宝珠に慶長十一年(1606年の銘があります。

この楼門も重要文化財

年代:室町後期 国重要文化財

室町後期の建立、大正2年国宝に、改めて昭和25年
重要文化財に指定されました。 佐賀県内で最も古い木造建築物です。

竜造寺家の「藤竜家譜」によれば、 1482年太宰少弐政資公が
先考教頼公の旧館(現在の龍泰寺一帯)を修めて与賀城を築き
与賀神社を鬼門の鎮守として祀ったとあり、
同じ頃楼門を建立したと伝えられます。

楼門は総丹塗で正面三間、側面二間、屋根は入母屋造で
当初柿葺で、その後世銅板葺屋根に改められ現在に至っています。
その構造形式は室町時代の地方的風調があります。

楼門を潜り、振り返る。
この一直線20メートルくらいに、3つの重要文化財

両脇には狛犬ではなく、檻に捉われた馬と

何気に素晴らしい出来栄え

本殿。流石にこんな時間は開いていません。
本日 HPを見て知りました

刀があったんですね

太刀 銘 『康光』

年代:約600年前の作 国重要文化財

与賀神社の御神刀として古来より伝えられているもので、
600年余前、備前国長船の人の作。


調書に「康光にして抜群の作」とあり、大正8年国宝に、改めて昭和25年に
与賀神社の御神刀として古来より伝えられているもので、
重要文化財に指定されました。


太刀は刃の長さ二尺四寸、手の内七寸七分、鎬造、反り八分、刃紋小乱れ。

神社の記録によれば、藩祖直茂公は社領と交換してもこの御神刀を
所望されたが、御神威を窺うべく御くじを取られたところ
相叶わずとの御神意が出て、神慮を畏れられ、
「与賀神社の永代の神宝物とせよ」と仰せつけられたとのことです。

時間をずらせば見れたのだろうか。
残念だ。

それにしても、国重要文化財が溢れかえっています。
駐車場は近くに無く、境内も小さいので 威厳や風格はありません。
住宅地に紛れていますし。

本殿の御隣に 最近見た御尊顔

恵比寿様 恋を釣らずに 何を抱く (無駄な575)




さて、次の場所へ向かおうかな

最後に見上げた楠

こちらは 県天然記念物


年代:樹齢千四百年以上 県天然記念物

境内の大楠4本のうち、神殿南側の楠が最も大きく
昭和 40 年県天然記念物に指定されました。
樹齢千四百年超と伝えられ、御神木と崇められています。

傍らに「我に迫る三千年の楠青葉 月斗」の句碑があります。

県の指定書には、「根回り 25m50cm、枝張り 
東西37m、南北25m、幹の中に、地上5mのところから
枝分かれ枝葉が繁茂しており、六畳敷余りの空洞がありますが、
樹勢は旺盛で樹相は優美であり、県内における
代表的な楠の巨木として価値が高いといわれてます。

宣伝ばっかの神社と違い、静かで厳かな 本物を見た気がします。