一人旅11回目(15県目) 鳥取 倉吉白壁土蔵群・赤瓦


倉吉市は色々な100選に選ばれています

○「森林浴の森」日本100選
 名称:打吹山
 選定者:緑の文明学会、社団法人日本公園緑地協会
 選定日:昭和61(1986)年4月19日



○「日本都市公園100選」
 名称:打吹公園
 選定者:緑の文明学会、社団法人日本公園緑地協会
 選定日:平成元(1989)年7月26日



○「さくらの名所100選」
 名称:打吹公園
 選定者:財団法人日本さくらの会
 選定日:平成2(1990)年4月6日



○「かおり風景百選」
 名称:酒と醤油のかおる倉吉白壁土蔵群
 選定者:環境大臣
 選定日:平成13(2001)年11月12日



○「美しい日本の歴史的風土100選」
 名称:伯耆の国国庁跡、国分寺跡、陣屋町 倉吉の町並み
 選定者:美しい日本の歴史的風土100選実行委員会
 選定日:平成19(2007)年3月2日




羽衣池


打吹山に天女伝説があるそうな。


日本およびアジア一帯に伝わる


羽衣伝説のHPはコチラ



第五十三代横綱 琴櫻


八百長や賭博で話題持ちきりの相撲業界。

この方も関わっていたかは、知りません。



見どころある倉吉市ですが、


最も有名な観光スポット



倉吉白壁土蔵群・赤瓦



画像アップロード制限ギリギリだったので、


見難い4分割ばかりで申し訳ないです。


玉川沿いに並ぶ白壁土蔵群は、江戸・明治期に建てられたものが多く、

国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

玉川に架けられた石橋や、赤瓦に白い漆喰壁の落ち着いた

風情のある街並みを歩くと、時間がゆっくり流れていくのが感じられます。

日本のポストは見紛うこと無く右上。


自転車置き場? 心擽られる左下。


正しく白壁、右下。


倉吉の町


倉吉の町は今から600年くらい昔に、日本一の大名

山名師義(もろよし)と言う人が打吹山に城をつくんなってから、

その麓にだんだんと町並みが出来てきたさーな。

その後、江戸時代になると鳥取の池田藩の家老の荒尾志摩と言う人が

陣屋を作って倉吉を治めとったちゅうこってす。

この通りは本町通りと言うけど、昔は木綿や脱穀道具、

酒などを商う店が軒を並べとったもんです。

「倉吉」と言う名の由来は伝わっとらんけど、

「くらしよい(暮らしよい)」ところから倉吉という名前に

なったと言われとります。


とある黄金の看板に書いてありました。


こっち見んな!


お茶目で洒落ている場所です。

とある黄金看板 その2。


倉吉の町屋


倉吉の町屋は、間口が狭くて奥が深いうなぎの寝床みたいな所に

母屋や土蔵が建てられとりますいな。

母屋は店と住む所が一緒になったもんで、天井の低い

つし二階のあるもんや総2階建て、なかには3階建てのもあります。

母屋の奥に中庭があって、その奥に土蔵が建てられとるのが決まりごと

みたいになっとります。

外面が地味だが、中の造作に贅を凝らすのが

倉吉町屋のええところだわいな。


母屋の土蔵の屋根は赤っぽい瓦で作られとりましょうが。

この瓦は「石州瓦」といいましてな、

ここら辺の家の大方につかわれとります。


・・・良い所です。

家紋・・・でしょうか。

玄関の硝子部にあしらっております。

右下の勝手口?


小さ過ぎます。


ネコ様用?


とある黄金看板 その3。


玉川 砥屋町

この川は玉川と言ってな、むかし打吹山にお城があった頃に

外堀として掘られたと聞いとります。

川船が上り下りしとったという人もあるけど、

たしかなことはわかっとりません。

以前は、この先で直角に曲がっとりましたが、

昭和九年にごっつい大水が出ましてな。

それから斜めに付け替えられたとということです。



玉川の北側のこの町、砥屋町といいます。


もとは、刀を研ぐのを商売にしとんなった家が多かったけ、


その名前がついたそうです。




この町が愛おしくなりました。


左下の写真、

これが玉川なのかな。

この先に黄金看板 その3がありました。

餅屋、だいにんぐ、クラフト


防災センター、本屋さん、飼料


醤油直売店


様々なお店が、風情ある日本家屋であります。


それらの店に英語があると、違和感がどうしても。

埼玉の菓子屋横丁周辺もこういう町並みでしたが、


こちらは静かで、雰囲気をじっくり味わえます。


残念ながら、砥ぎに関するお店は見つけられませんでした。